『小さなICU』
給食を食べ終わった火曜日の昼休み。
ボクたちは昨日放送されたプロレスの話で盛り上がっていた。
ー 昨日の藤波強かったなぁ! 増田君がやや興奮気味に話しかけてきた
ー でもさぁ、途中で負けるかと思ったよ...あの反則はないよなぁ
ー それよりその前のタイガーマスク! 空飛んでたぜ!
ボクたちは毎週火曜日の昼休みはこう盛り上がっていた
ー なぁ、今日遊べる?
ー いいよ、何して遊ぶ?
プロレスの話が終わるやいなや、遊びの相談
ー じゃぁ、レースしに行かない?
ー いいねー、あと誰誘う?
ー マー坊とじゅん、あとジャガと哲也は?
ー OK、みんなに話そう
眠たくなる午後の授業を何とか乗りきったボクたちはそれぞれの家に帰っていく
ランドセルを玄関に投げ捨てて自転車を持ち出して集合場所の空き地へ向かった。
住宅街の西端にある空き地は南北に長く、南側は小高い山になっている。
頂上には鉄塔が建っており、そこへ向かう獣道は起伏が激しいデコボコ道
空き地の向かい側にあるバイクショップのお兄さんがたまにモトクロスの練習をしているのを見たボクたちはその姿に憧れマネをしていたのだ。
北側の広い場所は野球やサッカーも出来る大きな空き地でボクたちは第2ちびっ子広場と勝手に命名していた。
先に到着していたボクと増田君はみんなの到着も待たずに自転車で遊んでいた
ー おーい!誰かいる? じゅんとジャガが来た
ー いるよーー 何で焦った感じなんだ?
二人の姿が見える丘の下まで降りるとジャガが何かを抱いている
ー ジャガ、なにそれ?
ー う、うん...こいつ、そこで倒れてたよ。たぶん...轢かれたんじゃないかな?
ー え?死んでる?
ー ううん、生きてるけど...辛そうだよ...どうする?
少ししてマー坊と哲也も合流してきた
子猫は怯えているのだろうか?
それとも激しい痛みに襲われているのだろうか?
悲鳴に似た泣き声でボクたちに何か...わからなかったけど...訴えていた
どうする?
子猫を囲んで緊急対策会議が始まった。
ー じゃぁ、俺は段ボールを家から持ってくる
ー 新聞紙いるよね?俺持ってくるよ!
ー ミルクいるかな?うち近いから持ってくる
ー マキロン効くかな?
マキロンかぁーーー
ー ま、とりあえず持ってくるよ!
ー あとは...おがくずかな?
ー ジャガ!それは昆虫にだろう!
ー あ、そうか...
ー 哲也は家遠いから、ここで子猫見ててくれる?
ー OK、わかった
ボクたちは遊ぶ事を忘れてこの小さな命を救おうとそれぞれに使命を持ち一旦家に戻ったんだ
ボクは家にある段ボールを持ち出した。
再び集合したボクたちは一目につかない場所で段ボールを組立てて、新聞紙を敷詰めて小さなICUを作ったんだ
傷ついた子猫を横にした。
ミルクの皿は落ちていた何かのフタを使ったけど子猫は口にしなかったよ。
マー坊が持ってきたマキロン
たぶん、効いてるのだろうけど...1滴垂らす度に子猫は泣き声をあげ、暴れるから...やめたんだ
どうすればいいんだろう?
ここにいる全員が思っていた事。
どうすればいいんだろう?
小さなICUを囲んでボクたちは見つめ、時々なでてあげる事しか出来なかったんだ
夕方5時を告げるチャイムが響き渡った
ー もう、5時だね...帰らなくちゃ
ー ここに置いて行く?誰か連れて行ける?
全員が首を横に振った
ー じゃ、寒くないようにした方がいいよね?
ー 段ボールのフタは開けておく?
ー ここ、カラスの巣が近いから閉じた方がいいよ
ー じゃぁ、ちょっと枝探してくる
増田君が茂みに向かった
ー なんで?枝って?
ー あのな、ジャガ、フタを閉めたら空気の通りが悪くなるでしょ?
ー あ!穴を開ける道具にするの?
ー そうだよ
ー 布団じゃないけど、新聞紙ちぎって入れていこう
ー うん、手伝う
そして、増田君が持ってきた枝で段ボールのフタの部分に小さな穴を開けた
ー 閉めるよ。おとなしくしててね
ー ミルク飲んでね
ー 痛くない格好でいるんだよ
ー だいじょうぶかなぁ?
決められた帰宅時間をとっくに越えていたボクたちは心配だけを残して「小さなICU」を後にした。
ー 明日の朝、学校行く前に見に行ける?
ー うん、俺いける
ー あ、俺もいける
ー じゃ、増田君と行って様子見て行くから
ー じゃぁ、また明日ね
次の朝、ボクと増田君は空き地へ向かった。
おはよう。
少しでも元気でいればいいなと期待を込めて段ボールのフタを開けたよ
小さなICUの中...子猫は消えていた。
あんな傷を負っているんだから、そんなに遠くへは行っていないと二人で探した
だけど、見つからなかった。
ダンボールの中には血のついた新聞紙と少しだけ残ったミルク。
ボクたちの小さな手じゃ傷ついた小さな命は救えなかったのかな
ボクも増田君も黙っていた
悔しかったんだ
学校に行ってからみんなに話をした。
沈黙を破ったのはじゅんだった
ー ねぇ、あの段ボールはそのままにしておこう
ー うん。もしかしたら戻ってくるかもしれないし
ー そうだね、そうなるかもしれないね
ボクたちは僅かな奇跡を信じて段ボールの小さなICUをそのままにしておいた
あれから多くの時間が流れて空き地には住宅が建ち並び、ボク達の遊び場だった面影はまったくない
1984年 命の儚さを知ったボクたちの悔しかった初秋の出来事です。