『殴らせろ!』
ー電話よ!
夏が始まる頃。
その電話は唐突に鳴ったのだった。
ーもしもし電話替わりました。
ーあ、あのシブヤですけど...
誰?
ーシブヤ...君?どちらのシブヤ君?
ーあ...高校で同じクラスだったシブヤです。
ーあ...あ~!シブヤかぁ!元気だった?1年チョイぶりかな?久しぶりだね
彼の印象はズバリ”地味”な子だった。
話をすれば楽しいヤツだったけど、俺とは教室内での付合い程度だったから...正直、すっかり存在を忘れていた。
普段から大人しい彼が一層小さく自信のない声で俺に問いかけてきた。
ーうん。元気だよ。あの、ちょっと聞いてもいいかな?オザキ君にお金貸して欲しいって言われなかった?
ーオザキ?...あぁ、2ヶ月前くらいに会った時にお金貸して欲しいっていうから貸したね。
ーそうですか...実は僕も貸して欲しいと言われて貸したんですけど...連絡が取れなくなって...寮からも追出されたみたいなんだ...
ーえ?数日前に電話来たぜ...もうすぐ仕事休みとれそうだから遊びに行こうって...てかシブヤ、俺、アイツに2万円貸したけどさ、お前いくら貸したんだ?
受話器越しに溜息が聞こえる。
ーふぅ~...うん...5万円貸した。
ーはぁ?マジで?何でそんなに...
ー20歳のお祝いにばぁちゃんからもらったお金だから返して欲しいんだけど...
ーちょ...他のヤツらにも電話して確認してみるよ。
ーうん。僕も他の人に聞いてみる。また電話してもいいかな?
ーもちろん。何か判ったら連絡するし、連絡頂戴ね
まさかね。
正直、何かの間違いだろうって考えた。
確かに調子コイテ顰蹙をかうこともあったけど...お金って...
とにかく俺はオザキと繋がる他の仲間たちに電話を入れたんだ。
ナオヤ
ーおう!この前、家に来たよ。金貸してくれっていうから手持ちの1万5千円貸してやったよ。
イシダ
ーあ、俺あんまり金ないけど5千円貸しました。
ハガ
ーイシダと一緒にいたんですけど...俺、プータロだから金ないから無理って断ったんですよ。そしたら、お金はいいから泊めて欲しいいうので泊めました。ねぇ先輩、アイツこっちに実家あるのに変ですよね?
チカコ
ーあぁ...電話来たよ。お金の事は言われてないけど、晩ご飯をおごったわ
マミ
ーうん、電話来たよ...あなたに相談したかったけど...電話する勇気なくて...私ねお金貸したよ。学生だからあまりないよって前置きして2万円貸したの。どうかした?
ボロボロと出てくる...一体何人からお金引っ張り出したんだ?
シブヤから電話が来て2週間くらいかな?
とりあえず俺はナオヤとイシダを呼出してヤツの実家へ向かったんだ。
住所は知っていたけど、訪れたのは初めてだった。
にしても...随分とみすぼらしい借家だったよ。
応対したのはヤツの母親だった。
玄関先で事情を話したが、何の連絡もないし、お金の事を言われても困るの一点張りで殆ど話にならなかった。
ちょっと行き詰まった感があったので、それぞれがそれぞれのネットワークを使って探す事にしたんだ。
落着いてよくよく調べるとオザキはJRをクビになっていた。そして同時に夜学で通っていた大学も辞めていたんだ。
シブヤと話しても、イシダと話しても...それぞれが調べる程に金を貸している人が増えていく。
アイツは自分の素性を隠したまま、仲間を裏切っていく。
これはもう詐欺だよ。
よく仲間内で話していた事を思い出す。
俺たちはどんなに年を取っても...ある日を境に会わなくなっても...この友情を裏切らない。自分だけの為に利用しない。仲間である事を決して忘れない。
助け必要な時は全力で助け合う。恥じるな、遠慮するな。俺たちを呼べ!
そう誓ったじゃないか...
こういう裏切りも大人の階段を登るっていう事なのかな?
ちょっと失意が大きいな...
夏も終わりかけの午後だった。
ー電話よ。
姉が俺を呼んだ。
ーもしもし?電話かわりました。
ーあ、イシダです!オザキ見つかったもしれません!
ーどういう事?
ーさっきチカコ先輩から電話が来てですね...知り合いの家で世話になってるらしいって聞いたらしいです!そうします?今日行きます?
ーナオヤは?
ー今一緒にいます!
ーわかった。行こう。まずは話を聞こう
30分くらいでナオヤとイシダは迎えに来てくれた。
オザキは塩釜の知り合いの家に厄介になっているそうだ。
海を見下ろす小高い丘の上の一軒家
オザキの知り合いは別ルートで俺の知り合いでもあった。
ーまずは俺が行って所在を確かめてきます。
イシダがそう言って呼鈴を押し、中に入って行く。
ナオヤと二人、無言で海を見ながらタバコを吸っていた。
なぁ、ナオヤ...お前あの時何を考えていたんだ?
俺はな...この2ヶ月近くの間に聞いた事が嘘であればいいなって最後の希望を持っていたよ。
20分位だったかな?イシダが戻ってきた。
ーダメっす...何かもう...逝っちゃってるっていうか...何を話しても、借りて何が悪い?みたいな感じで...とりあず、3人でもう一度行きませんか?
俺ら3人で再び家の中へお邪魔した。
2階への階段を上る。
ーあ、本郷さん、ご無沙汰しています。すみません迷惑かけてしまって。
ーおう、俺は風呂に入ってくるから、ゆっくり話し合え
オザキは驚いた表情をしていた。
そこにナオヤが切出す。
ーなぁ、どうした?何で相談しなかった?
ーお前らに話しても...俺の気持ちなんてわからないだろう
ーにしても、借りた金どうするんだ?
ー...。
ーシブヤの金、あれなアイツの20歳のお祝いの金なんだぞ。それを貸してくれたシブヤの気持ちを考えてやれよ...な。
ーアイツはそれを承知の上で俺に貸してくれただけや、シブヤの気持ちなんてナオヤには関係ないだろ?何なんだよお前...
優しく諭すナオヤの手前、俺は我慢してたけど...もう限界だったよ。
ーおい、オザキ
俺の声にわずかに反応するがあまり表情に変化はなかった。
ーなんだよ。お前も説教かよ...面倒クセぇヤツらだな
ー面倒クセェのはお前だよ。コソコソ逃げまわって...どうして俺たちを裏切った?
ー別に裏切っちゃいないよ。悪いことしてるつもりはないからな。
ーこんな事になるまで...何で助けてくれって言えなかったんだよ
ーお前らさ、金持ってないだろ?助けられるわけないんだよ。お前ら仲間っていうけど、世の中”金”なんだよ。仲間なんて一円にもならないだろ。こうやって...どう調べたか知らないけどドカドカ他人の家に踏み込んで俺を犯罪者みたいにイジメやがって...面倒クセぇんだよ
握った拳の中の爪が突き刺さっていた。
ナオヤが大きな溜息を1つ吐出した。
ーダメだ...もういい、帰ろう。
ナオヤは先に階段を降りて外に出た。
俺もイシダに促されて階段を降りようとしたけど、握った拳の中の爪が突き刺さり痛かった。
痛くて。
痛くて。
悔しくて。
降りかけた階段を再び上がり始めた時、イシダが全力で俺を止めに入ったんだ。
ーもういいですよ!諦めましょうよ!何も変わらないですよ!
ーうるせぇ!殴らせろ!
俺は絶叫していた。
ーアイツは死んだんですよ!そこにいるオザキはもう別人なんですよ!いないんです!
イシダは今までにない力と大きな声で俺を押さえ込んだ。
そこからどうやってナオヤの車に戻ったかは覚えていない。
助手席に座って、ナオヤに呟いた。
ー殴れなかったよ。
ナオヤは何も言わずタバコを差し出す。
それをくわえるとイシダが火を差し出す。
なんつーか...絶妙なタイミングで一連の動作になってた。
それがチョット可笑しかった。
ゆっくりと漂う煙。
それを見てたイシダが口を開いた。
ーさっきは大声出してすみません...何か腹減りましたね...ラーメン食っていきませんか?
俺とナオヤは顔を向き合わせて少しだけ笑った。
小高い丘から見える海が夕日に照らされていた晩夏の夕方。
たぶん俺たちはまた1つ大人への階段を登ったに違いない。